感情の物差し。
弱音を吐くと、「もっと辛い人がいる」っていう的外れな説教する人いますけど、その人らに対して私はよく、「でも自分の物差しでしか測れないし」って思う。
でもその物差しっていうのは自分の中でも変化していくから、「今持ってる物差しでしか測れない」が正しいのかもしれない。
高校時代、ある先生から大学時代の話を聞かせてもらったことがありまして、「大学時代にめちゃくちゃ辛いことがあった」と。確か恋人と別れたとかだったかなぁ。まぁ何が原因かは然程関係ない。
それを母親に泣きながら話して、「もう無理」的なことを言ったら、お母様が、「これから生きてたらもっと辛いことあるのにどうするの」そうおっしゃったと。
先生はそれを聞いて、「えっこれより辛いことあるの?!」って思ったみたいですが、実際に大学時代のことより辛いことが色々あったらしく、その度に乗り越えてきたと。
私は中学時代はほぼ不登校だったし、高校に入学したものの人間関係で辛い目に遭ってそれで別の高校に転入したり、学校面では色々苦労した。すごくしんどかった。
だからこの話を聞いた時、お母様から叱咤された時の先生と同様に、「え、本当にこれより辛いことあるの……?」って思いました。で、実際、ありました。高校でのあれこれより、ずっとずっとしんどいことが。それも1回や2回じゃない。
でも、その時々で感じる苦痛ってのはどれも本物で、どれが一番かとか、順位をつけることは決してできない。
私は辛いことや面倒なことがあるとすぐに死にたがって、自分のTwitter見返すと本当に死にたいばっかり言ってる時期がよくある。
実際、高校に入学したてで不安しかなかったときとか、結局転入して親への申し訳なさや情けなさでいっぱいになったとき、元カレと別れたとき、サークルや就活で追い詰められたときはしんどさのピークで、ほんまに首吊ろうかと思った。ていうか、吊る準備した。
今振り返ると、やっぱり直近での就活が一番しんどくて今でも夢に出てくるぐらい精神的にやられたんだなと思うけど、この出来事以外のことも、その時々ではどれも本当にしんどかったんだろうなぁ。
でもその度に死にたい思いを堪えて、今こうして生きている。生きているだけではなく、なんとか乗り越えてきた、と、思う。思いたい。
はー、すごいよ。ちゃんとやっていけてるよ自分。
自分が褒めなきゃ誰が褒めるんだ。
これからも辛いことはあるだろうけど、今までも乗り越えることができてきたんだし、きっと大丈夫だと思いたい。